Person 9
気もちや意見を正直に言っていいか。
モノを言うのにも気をつかう。
100パーセントほんとうの自分ではいられない。
日本は、遠いおとぎ話のなかの国のような存在でした。
それが日本人男性との結婚で、
自分の暮らしていく場所になったのです。
自分では思いもしなかった人生。
何も知らない、分からない国に来て、
一年半くらいは、
夫と夫の家族以外の人とは出会うことなく、
暮らしていました。
その間は
人の目から身を隠すようにして暮らしていました。
そのころは、いまよりも外国人が珍しかった。
だから町に出るとジロジロ見られましたし、
家にいればいたで、
姑の知り合いが、わたしを見に来るのです。
日本人の嫁でも同じだったかもしれないけれど、
言葉も習慣もわからず、
気もちが敏感になっていたわたしには、
外国から来た嫁への興味本位の目に感じられました。
そして、それが自分のせいみたいに思えて、
人の目から身を隠そう隠そうとしていました。
そうやって人目を避けて、
夫とわたしだけの人間関係の中で暮らしていた間は、
日本語をまったく話しませんでした。
日本語と接触したのは子どもができてから。
直接のきっかけは子どもの予防接種でした。
子どもに予防接種を受けさせるために、
ジロジロ見られることも、慣れない日本語も
恥ずかしがってはいられない。
そう思って家の外の世界にでたら、
親切な人と知り合いになって、
予防接種のこと、
子育てのことを教えてもらったりと
付きあうようになりました。
わたしにとって、
子どもが日本への架け橋でしたね。
けれど、その子どもは今、ペルーの文化を拒んでいる。
スペイン語を使うのを嫌がるのです。
友だちが不思議がるから。
ガイジンだということを気にするのです。
子どもどうしのケンカで、
「おまえガイジン、何人や」と言われて…。
家に帰って来るなり、
「どうして私はみんなと違う。
お母さん、どうして日本人じゃない」と言いました。
二つの文化をもっていることが、
子どもにとってプレッシャーになっているのです。
子どもは素直だろうに。
たぶんその子たちの親が言っていることに
影響を受けているのでしょう。
学校の懇談会で発言するとき、
ほかのお母さんが一斉にわたしの方を見るんです。
わたしの時だけですよ、そんな一斉にじっと見るの。
ガイジンがなに言うのだろうって興味でしょうね。
それで、わたし、
だんだん懇談会に行くのがイヤになりました。
あのようなお母さんたちの態度が
子どもたちにもうつるのでしょう。
国際結婚で生まれた子どもたちは、
二つの文化をもちながら、
日本のメンタリティを強くもっているのです。
みんなが同じであるべきという、
日本的なメンタリティを。
そこに自分がみんなと違うという…
隠しようのない違いをもってしまっている。
子どもにとっては、大きなプレッシャーです。
わたしが持っているのはペルーの文化でしょう。
日本にいるのだからと、気をつけてはいても、
考え方や感じ方はペルー人。
子どもに、モノの言い方を注意されるんです。
「お母さんはストレートすぎるからダメなの、
そういうときは、こんな風に言わないと」って。
子どもにモノの言い方を直されるんです。
ボランティアの活動をしているのですが、
そこで会う人に、率直な方ねと言われて。
いい意味で言われたのか、
悪い意味で言われたのか、考えました。
自分では悪気のないユーモアも、
日本人にはキツイととられることもありますし。
日本人と付きあうのに、言葉づかいに気をつけます。
でも、思っていることを言わなければ
ほんとうの友だちにはなれないし、
第一、自分が自分じゃなくなる。
だから、ありのままのわたしでいて、
相手の気持ちを考えながら、
はっきり言いすぎないようにして、
思っていることを正直に伝えます。
そうして、
日本人のほんとうの友だちが、できましたよ。
何でも話せる、ほんとうの友だちが一人います。
日本人のほんとうの友だちは、一人です。
その他の人とは、心理的に越えられない壁を感じます。
その壁は、わたしがガイジンだから?と思います。
日本人は人とのつきあいに対して、
自分で道のりに終点を決めている。
この人とのつきあいはここまでって、
線を引いてしまっている。
だからわたしも、
その線を越えて何でも話すことができない。
いつも考えながらモノを言うのは、しんどいです。
ペルー人は、本音をストレートに出しますから。
日本人は嫌いな人にも笑って挨拶しますよね。
私たちペルー人では、ああいうことはないです。
嫌いな人に会っても挨拶しない。
お互いフンッという感じですよ。
嫌いな人に挨拶するなんて、本音ではない。
本音をぶつけあうのが、ペルー人の人間関係。
日本人は建前を大切にするでしょう。
ある会社でスペイン語を教えているのですが、
そこでよく見かける風景があります。
日本人どうしで議論がはじまりかけると、
お互い意見を言いあわないで、
その場をソコソコに終わらせる。
そして次の日には、
何もなかったような顔をして話しているのです。
議論をするのはよくないことなんでしょうね。
本音を言いあって問題を解決するより、
何もなかった顔で付きあうことが大切。
思っていることは、心の中にしまっておく。
本音の文化で育ったわたしには、
思っていることを
心の中にしまっている相手は怖いです。
心の内を見せない相手に、
どう、こちらの心を見せればいいのか。
日本人は知れば知るほど新しいところがでてくる。
不思議です。
ふだん、どんなに親しくしている人もそう。
いつもの態度や言葉から、
この人は、こう言うだろうなと思うでしょう。
すると思いもよらない答えがかえってくる。
相手のことが、理解できなくなります。
奥が深いとか魅力的な意味ではなくて…。
まさか、この人にこんなこと言われるとはと、
ショックを受けるような答えが返ってくる。
前にわたしが言った言葉をずっと覚えていて、
ほかの時に持ちだして言う。
その場で心の内を話さずに、
腹におさめて根にもっていたんだと、
これが分かると、怖くてモノが言えなくなります。
日本人とペルー人は違う。
ペルーにいたときのように、
言いたいことをストレートに言うと相手を傷つける。
だから言葉を選んで、自分の気もちや考えを伝える。
その気づかいは、もちろんわたしにもあります。
でも、悪気なしにいった言葉が
相手の気にくわないということは、あるでしょう。
そんな時その場で、何とか言ってもらえず、
ずっと根にもたれるのだと思うと、
怖くてモノが言えなくなります。
日本は何年暮らしていても外国。
日本の言葉が話せても、自分がいられないところ。
本来の自分らしさ100パーセントではダメなんです。
モノを言うにも気をつかう。
自分の思ったことや気もちを、
正直に言っていいかどうか、いちいち考えないとダメ。
自分の家があって、家族がいて。
自分の人生のあるところだけれど、
ありのままの自分のいられないところです。
ペルー・40代前半・女性
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