Person 4
ガイジンは別物だって、
子どもたちに思ってもらいたくない。
一緒に喜んだり悲しんだりする、
友だちになる相手だって、覚えてほしい。
幼稚園で英語を教えているの。
英語を教えながら、
子どもたちが、外国人に慣れるきっかけに
なっているのが、嬉しい。
小さいころから、外国人と自然に接しておくのって、
いいことだと思うもの。
外国人と付きあうのは特別なことみたいに、
かまえている人が多いなあと思うから。
日本人と接していて。
勤めている幼稚園の入園式で、
園児一人ひとりと、写真を撮るように言われたの。
子どもとお母さんと、わたしとで。
ほかの先生は入らなくて、わたしだけ。
その子どもの担任の先生も入らないのよ。
それってわたしがガイジンだからでしょ。
きっと後で、
お母さんが人に見せるんだろうなあって思った、 その写真を。
「ほら、ガイジンの先生よ」って。
まるで、クリスマスのショッピングモールの、
サンタクロースみたい、わたし。
だから言ったの。
担任の先生と園児たちの、
クラス写真になら入りますけど、
わたしとだけの特別な写真は断りますって。
だって、子どもたちに、
このガイジンの先生は、
ほかの日本人の先生とは別物なんだって
先入観をもってもらいたくないもの。
わたし、時々、パーティーに招かれるんだけど…。
大人が子どものためにパーティーを開いて、
外国人を呼ぶの。
そしたら、パーティーに来た子どもは、
ガイジンがいるんで、ちょっと緊張しているの。
で、パーティーが終わると、そのガイジンはいなくるの。
そういう体験をしていると、
外国人とはパーティーで会うものだって、
いつの間にか思ってしまわないかしら。
そういう特別なシチュエーションで会う人だって。
良くないなあって思うの。
子どもたちにとっても、私たち外国人にとっても。
そんな風に、特別なシーンをつくって
外国人と付きあわせると、
外国人と距離ができてしまうもの。
ガイジンは別物だって。
もっと普段の生活のなかで、
日本人と同じ並びで付きあわせると、
普通に受けとってくれるのに。
わたしが幼稚園で教えている子どもは、
幼稚園に行けば、わたしのいるのが普通だから、
わたしのことも、ほかの日本人の先生と同じように、
普通に受けとっているもの、今はもう。
あの子たちは、大人になってもきっと、
外国人と普通に接するし、
友だちにもなるんじゃないかな。
嬉しいとか、悲しいとか、感情を分かち合う友だちに。
わたし、日本のことが好きよ。
日本で暮らすのは二度目だもの。
好きだから、また来たいと思ったんだもの。
仕事もあるし、文化も性にあって暮らしやすいし。
ただ、日本人の中には入っていけないの。
一度目と二度目を合わせて、日本で三年暮らしているけど、
友だちと呼べるほどの友だちがいないの。
日本にいるのに、友だちは外国人ばっかり。
コトバの問題もあると思う、もちろん。
日本にいるんだから、日本語を話さなくてわって。
でも、時間を聞いただけでも
「日本語ペラペラね」って言われると、
なんだかそれ以上、日本語を話しづらくなっちゃうの。
分かってもらえる?
ガイジンなのに日本語、喋るなんてって、
過剰に反応されて、へんな雰囲気なの。
だから、ついつい日本語を話せないままなの。
もちろん、ほとんどの日本人はいい人。すごく親切。
でも、お客さん扱いなの。
ガイジンもいてもいいけど、輪の中には入れてもらえない。
何度も会っても、エモーショナルを分かち合えないの。
わたしが自分の気持ちや感情を話しても、
日本人からは、なにも返ってこないの。
日本人が、感情や個人的なことを話すまでには、
時間がかかるんでしょうけど、
わたしがガイジンだからかなって距離を感じてしまうの。
日本では、わたしはアウトサイダーね、ずっと。
これから先、何年もいて、
日本語を流暢に話すようになっても。
日本人とは違う文化をもった別物だから。
カナダは移民の国だから、
一人の人間の中に、
いろんな文化が入り交じっていてもいいの。
バリエーションのある人間が、
いろいろ混ざって仲間になれる。
でも日本では違ったところのある人間は、
仲間としては歓迎されないの。
だからいつも、
気持や感情なんかは深く見える必要のない
パーティーにだけ呼ばれるお客さんなの。
カナダ・20代後半・女性
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